マルチの女

 Y子は千葉県出身で、国立大学に在学している時分、公認会計士試験に合格した。
 最大手の外資系監査法人に就職したが、監査法人の仕事はブラックで終電帰りもザラだった。
 学生時代から付き合っていた男は浮気して離れて行った。意識が朦朧とし、その間どのように仕事をしていたのか、それは彼女自身も覚えていない。
 とにかく目の前にある仕事を片付けることに取り憑かれていた。生理も長い間来なくなったが、かえって面倒ごとがひとつ減ったくらいにしか考えていなかった。

 

 そんな日々を数年送っていたある日、目覚めると、雨が降っていた。
 身体がいやに重たかった。前日も晩い帰りで3時間睡眠だったこともあり、それは特別なことではないように思えた。
 とにかく布団から這い出し、栄養ドリンクを飲み、シャワーを浴び、昨日の化粧を落として今日の化粧をした。そして出勤するため、ドアに手をかけた。
 開かなかった。
 おかしい、何度強く引いても開かない。このままでは遅刻してしまう。
 年単位で染みついたルーチンを乱され、Y子は激しく狼狽した。それでもドアは開かなかった。会社に休む連絡をし、数年ぶりに有休を使った。
 翌日も雨が降っていた。ドアは開かなかった。その日も会社を休んだ。
 3日目も雨だった。雨は強さを増していたけれど、カーテンから朝陽が差し込んでいることに気付き、もう限界なのだと悟った。

 

 その日、会社に辞める旨の電話をした。
 自分がいなければ回らない仕事があり、困る人がいる。あれだけ強く信じていたはずなのに、会社はあっさり辞意を承諾した。雨が止み、ドアが開いた。
 気が付くと、Y子は30歳になっていた。

 

 その後、新橋にある無名企業の経理としてさして忙しくない職を得た。
 しかし数か月もすると、公認会計士なのに簿記くらいで務まるような仕事をしている現実と、前職と比べて半分以下の手取り、明らかに落ちてしまった生活水準の狭間で焦燥感に襲われるようになった。埋め合わせをするように婚活をしたが、うまくいかなかった。
 そんな折、何かのパーティで出会った女に誘われて、品川にあるタワーマンションのホームパーティに参加した。

 キャッシュフローゲームという人生ゲームのようなもので遊びながら、彼ら...おそらくY子以外全員...の「ラットレースから脱出する」だとか「経済的自由」だとかいう能天気な青写真を聞かされ、その具体性と蓋然性の虜となり、マルチの一員となった。
 彼女自身のビジネスはさておき、本業の経理職の傍ら修行と称して「メンター」と呼ばれる人たちのビジネスを手伝うことになった。「メンター」の中には、Y子を誘った女も含まれていた。
 他の「新規参加者」と比べて決して若くはなかったけれど、元々優秀で何事もそつなくこなすY子はたちまち頭角を顕した。
 理路整然として強いY子に憧れて入会する若い女も少なくなかったし、長身で美貌で話術に長けるY子が男たちを「パーティ」に誘い込むことは勿論造作もないことで、その度に「メンター」達から大いに褒められた。
 これまでさして称賛を受けたことのないY子にとって、それは禁断の果実だった。

 Y子と初めて会ったのは5年前、当時私は25歳で、街コンで知り合った男の友人が恵比寿で開いてくれた5:5の合コンだった。女側の幹事として女4人を連れてきたのが、当時31歳のY子だった。4人はそれぞれ別の街コンでY子が声をかけ連れてきたのだという。
 6歳も年上のY子に当然相手にされるなどと思っているわけもなかったが、ひとまず後日全員にお礼のLINEを送ったところ、Y子から会って話してみたい旨の返事が来た。

 年上で長身美人のY子からわざわざ連絡が来るきな臭い意味を察せないはずは当然なく、それでも万一にかけて新橋のカフェで会って話した。
 しかし出て来るのは当然「キャッシュフロー」だの「不動産」だの「金持ち父さん貧乏父さん」だのといったマルチに典型的な言葉で、ガッカリはしたものの、彼女の人生について俄然興味は湧いてきた。それに、それはそれとしてY子とは話が合った。


 当時、与信審査の仕事をしていた私と経理をしていた彼女とでは関心事がそう遠くなかったし、おっとりした雰囲気に居心地の良さを感じてしまっていた。他に予定もさしてなかったから、それからデートを重ね、彼女を抱く日もあった。
 初めて抱く年上の女は優しくて、相変わらず婚活がうまくゆかず氷のようにトゲトゲしくなる心を溶かしてくれるようだった。彼女のことを好きになり始めていた。
 一人暮らしをして借りた部屋に入る最初の女がマルチだなんて笑えない冗談だと思ったけれど、それでも彼女しか私にはいなかった。

 

 「まあ少しは手伝ってよ」と誘われ、五反田で開かれたY子主催の「異業種交流会」で集金係をしたこともある。
 明らかに連れてこられたと思しき無垢の大学生が不安そうにしていたので、こっそり「飯食ったら早く帰りな」等とアドバイスをした。
 そこで私は彼女の「メンター」達と実際に会うことになり、品川のタワマンで開かれる予定の「キャッシュフローゲーム」に参加して欲しい旨の説得をされ日時と場所も教えて貰った。けれど金にも困っていないし、今は出世したいから経済的自由にも興味はない旨つたえて断った。それは当時偽らざるところだった。
 のらりくらりと彼女や彼女の友人達からの「お誘い」を躱しているうちに、彼女とは段々疎遠になっていった。

 

 数か月ぶりに来た彼女からの連絡は、「グループの大物が帰国するので、会わせたい」「1対1で会えるのは今だけ」というものだった。
 しかし興味はあった。

 品川のタワマンなんていう逃げることのできない場所ではなく1対1(実際にはY子がいたけれど)で会えるというのであれば、ヤバくなったとしても幾らでも逃げようがあるように思えた。
 指定された大井町のロータリーでY子と待っていると、白いSクラスのベンツがやってきて、浅黒い長身のイケメンが降りてきた。

 ベンツに乗り込み、「公演」をする為に五反田に向かうまでの社内で数十分話をした。株式市場や先物市場のごく一般的な知識を披露されて、Y子はふんふんと目を輝かせて話を聞いていた。

 「興味あったら、次の公演に来て欲しい」

 とだけ言われ車を降り、メールアドレスを交換した。相手はそれ以上の誘い文句を口にしなかった。判り易いフックもなく、この会合自体の意味が不明のままで気持ちが悪かった。

 「だっちゃん、あの人の話がわかるの?凄いね!」

 Y子が興奮気味に話すのに鼻白んだ。
 それから何度かY子と食事をしたけれど、私はもう疲れてしまって、彼女からの誘いに乗ることはなくなった。

 

 それから数年経ち、昨年の冬、久々に連絡の来たY子とカフェで話をした。何百人も、いや何千もの人と連絡先を交換しているはずの彼女が数年前に知り合って響かない私に改めて連絡してくるのは何か奇異に思えた。
 日比谷のプロントで、35歳になったY子と再会した。その顔は単なる時の流れ以上に疲労し憔悴しているように見え、目の輝きを失っていた。
 だけど、それは私も同じことだった。

 「おれ結構ヤバいかも、破産するかもしれない」と伝えると、Y子は「そうなんだ」とだけ口にして、深く追求はしてこなかった。

 色々話をしたけれど、
 「だっちゃん、婚活している女友達に教えてあげて。女はね、30歳までなら何とかなる。どうにでもなるんだよって。」

 口にした言葉遣いや目の動き、その所作が妙に生々しく脳裏に焼き付いている。
 最後まで、彼女が私のことをどう思っていたのか判らなかった。私は彼女に好きだと言わなかったし、彼女も私との関係について言及することは一度もなかった。十中八九どうにも思っていなかったのだろうけど、それでも聞いておけば良かった。

 彼女が一度話してくれたことがある。彼女は経済的自由を獲得して、絵本を作りたかったのだ。絵が苦手だから、絵を描いてくれる人を探さなきゃ。それまでに話をたくさん考えておかなきゃ。そんなことを話していた。
 だけどそんなことは、まともに働いていたら経済的自由なんて無くたってできるようなことなのだ。だから結局、本当のところは現実がただただ嫌になっていたんだろう。

 夜、私の部屋で、隣に寝ている彼女が照れながら、「あるところに、うさぎさんがいました」と話してくれた彼女の絵本の話を、私はもう覚えていない。

 別れ際になり、
 「もう、会えないかもね」
 Y子はそう言って改札に姿を消した。LINEも消え、連絡をとる術は失われた。彼女に教えて貰ったタワマンの部屋は、売りに出されていた。