出会い系のさくらだった。

 10年前、紆余曲折あって金欠になった。
 知り合いのツテで仕事を紹介して貰えることになり、代官山駅近くにあるビルに出向いた。
 三度もインターフォンと監視カメラのついた扉を経て、地下の一室に通された。
 カーペット張りの床に、長机と椅子が幾つか置いてあるだけの無機質な部屋だった。暫く待っているとよれたスーツの男が現れ、全身を見据えて言った。

「A社が人足りないっていうからそこのお手伝い頼むよ」

 そして集合場所と日時だけ口にして部屋から追い出された。

「バックレるときは先に連絡くれよ」

 背中から聞こえ、ドアが閉まった。問答するのに、2,3分もかからなかった。
 当日、集合場所に指定された渋谷駅前のモヤイ像で待っていると、定刻より15分ほど遅れて代官山にいたスーツの男が現れた。「会社の住所だけ知られても困るべ?」と男は笑い、肩をすくめて見せた。
「早速一人バックれちゃったみたいなんだよ」

 駅から数分のところにある、桜丘町のボロい雑居ビルに連れていかれた。ビルの横看板やエレベータ横に掲示されている会社名は白塗りされていて、一見入居がないように見える。「なるほど、こうやってカモフラージュしているんだな」という、妙な納得感があった。

 A社は当時、雨後の筍のように増えていた出会い系サイトのひとつだった。渋谷はまだ再開発前で、宮下公園にはホームレスのブルーシートの屋根を張った段ボールハウスが軒を連ねていたし、どういう経緯か知らないけれど、桜丘町界隈の雑居ビルにはそういうアンダーグラウンドなビジネスを生業にする業者が集まっていて、町全体が素人には近付きがたい雰囲気を残していた。

 雑居ビルの会議室に通されると、「所長」が出てきた。
 30代前半で、一見ホストのようだがバックには偉い人がついていて、相応の修羅場をくぐってきているのだと聞いた。

「君はヤクザの事務所に来たと思ってるんだろうし、そう見られて仕方ないと思ってる。やってることは頭がおかしい人間相手のカスな銭拾いだし、働いてる奴はチンピラばっかで他に行き場なんてない。でも出会い系はIT系の広告屋家業だ。クリーンなビジネスにしていけると思ってる。いずれ新卒も取りたい。君はそのテスターだな。まあ、わからないことがあったら何でも聞いてくれ」

 A社の運営するサイトの使い方は、いわゆる出会いアプリと変わらない。
 メールアドレスと電話番号で無料会員登録をし、自分の写真とニックネームをアップロードし、プロフィールを書く。すると登録している女の子の一覧がズラッと出てきて、気になる女の子に話しかける。女の子が応じたらそこからサイト(アプリ)上で会話が始まり実際の待ち合わせをする。
 登録すると「ポイント」が与えられ、女の子に話しかけたりメッセージを交換する度にポイントは減っていく。ポイントが0になっても女の子と話したいときは、クレジットカードやコンビニのプリペイドカード等でポイントを購入(課金)することができる。

 当時は今のように出会い系サイトや出会いアプリに寛容なイメージはなく、登録者の男女非対称は8:2程度と尋常ではなかった。
 だけどそれをそのままにしておいては、大半の男性登録者が誰とも会話できずに終わってしまう。
 そこで魅力的な女性を演じ、「もっと話したい」と思わせるような存在、すなわちサクラが必要になる。

 所長に担当部署に案内され、課長以下の先輩に挨拶した。
「おう、よろしくな!」と手をあげた若い男の太い腕に、トライバル柄のタトゥーが見えた。

 そして、サクラとしての日々が始まった。

 出会い系のサクラは基本的に4つの部署に分かれている。①新規課金、②継続課金、③重課金対応、④女性客対応だ。

 ①新規課金は、魅力的な女性を演じて男性にサイト上で話しかけ、彼らのポイントを消耗させ、初回の課金(数千円~)に持ち込む。
 ②初回の課金をした段階で、彼らは継続課金の部署に回される。
 一度でも課金をした男性は、サンクコストが働くのか2回目以降も課金をする確率が高い。継続課金は、ゴネたり甘えたりして可能な限り男からお金を搾り取ろうとする。一人数万、十数万とれれば十分だ。
 因みにこの部署は元キャバ嬢、元AV嬢等といった実際にも甘え上手の本物の美人が担当することが多い。
 ③そして女に金を絞られていくうちに、大抵の男は何かに気付いて出会い系サイトを引退していく。
 しかし、その中には段々金を払うことそのものに快楽を覚え、狂ってくる男たちがいる。彼らはときに借金し、子供の養育費に手を付け、人生を破滅させても一度も出会ったことのない魅力的な女に課金しようとする。
 一人頭数百~数千万円取れることもあり、①②の部署は③の客を探す為のスクリーニングの為に存在しているといってもいい。
 そして④女性客対応。
 女性は男性と異なり課金へのガードが固く基本的に課金しようとしないのだが、一度課金をしたら最後、かなりの確率で③まで成長し、正気では考えられない額を投じるようになる。
 ただ母数が余りにも小さいため、①~③の全行程を丁寧に行うプロパー部署が設けられているのである。

 同じビルのひとつ下のフロアには、同じ経営母体でいわゆるオレオレ詐欺のようなことをしている連中がいると聞いたことがあるけれど、実際に会ったことはない。
 ふたつ下のフロアには小中学生向けの超進学校向けの学習塾が入居していた。とんでもない学習環境だ。
 畑ばかりの田舎から上京して間もなかったおれは、都市というのはそういう光と闇が同居しているのが通常なのだ、と寧ろすんなりそういう状況を受け入れていた。

 おれが配属されたのは、①新規課金だった。

 教育係としてついたのは、高尾マンコという女の先輩だった。
 高尾が名字、マンコは芸名みたいなものだ。おマンコさんと呼ばれていた。

 マンコさんの手には、むかし彫師志望の男に彫られたという不細工な顔のキューピッドが弓を弾いていた。
「やっぱ、ちゃんとプロにやって貰わなきゃダメだわな!」
 あっけらかんと笑っていた。今思えば22、23歳の、少女といっていい年齢だったはずだ。当時のおれには随分大人に見えた。

 勤務は夜21~翌9時と12時間の長丁場だったから、ときどきときに大学の授業と両立しきれずウトウトすることもあった。するとマンコさんはおれの股間をマッキーでペシペシ叩いて、「何しとるんか!!」と怒鳴るのだった。
 逆に仕事で成果を上げると、「お前、よくやったなぁ」などと言っておれの股間を撫でた。

「おマンコさん、それ頭じゃないんですよね、亀頭なんですよ。頭こっち、ほら顔ついてるでしょ!」

「うわ本当、なんこれブッサ!!」

 そういうコントみたいなやりとりをするのがいつものことだった。職場で最年少だったからか、可愛がって貰っていた。あまりチームや組織で動く経験をしてこなかったおれには、そういう年上の人達とのやりとり一つ一つがくすぐったかった。

 ある日、「だっちゃんって弁護士目指してるって本当なのか?」とマンコさんが尋ねた。
 訊くとマンコさんの妹が、バイト先で客に殴られ腕を骨折したのだという。殴った男の客は逃げてしまった。
 妹さんが上司に「警察を呼びたい」というと、「客が逃げた以上現行犯ではないし、警察呼んだらクビだよ」と言われて泣き寝入りしたのだという。

「まあ、どうにもならんか、どうにもならんよな」

 彼女は諦めることが当然みたいに呟いた。

 マンコさんや妹さんのように、警察みたいな公的な権威そのものに不信を抱くような人生を送り、自分の存在が違法なのかどうかさえ直視することを避けて暮らしているような人たちは、いざというときに誰にも助けを求めることができない。

 理不尽な扱いを受けても、「ところでお前は他人を訴追していい人間なのか?」と問われてしまったら、負い目のある人間に返す言葉はないからだ。
 誰も手放しで味方になんてなってはくれない。
 所長の言っていた「どこにも行き場がない」とは、そういうことなのだと知った。

 もちろん良い関係ばかりではなかった。
 働いているのは半グレばかりだし、当時のおれは常に勝ち気だったから、ほんの些細なことで言い合いになることは少なくなかった。特に、腕にトライバルのタトゥが入った先輩・高木さんとはよく争った。

 高木さんは地元の暴走族を引退した後、大学を卒業し高校教諭を目指しているという経歴の人だった。卒業した高校の社会科の教諭を目指し、腕の刺青を消す資金を貯める為にバイトをしていた。要するに面倒なメンタルの持ち主なのだ。

 ある日、何がきっかけとなったのかはもう忘れてしまったけれど

「なんだテメエその態度ナメてんのかコラ!」

「は?ナメてねえよ、クソ。何なんスか?あんたの言ってること全然意味わかんねえよ」

 そういう応酬を事務所で演じてしまった。
 高木さんはおれの首根を掴み、「てめえブッ殺すぞ!」と怒鳴るや、顔面をフルスイングでぶん殴った。

 自分より一回りも体躯のある巨漢に顔を殴られたのは流石に効いて、床に膝をついた。けれど当時のおれもさるものだった。
 高木さんにタックルをかまし、床に押し倒して馬乗りになった。そして手に掴んだボールペンを高木さんの首に突き付け叫んだ

「てめえ、二度とカタギに戻れない顔にしてやるからな!」

 絞りだした迫力の無い怒鳴り声だったが、職場は水を打ったように鎮まり返った。高木さんも反撃されると思ってなかったようで当惑した顔をしていたけれど、どちらかというと「あ、こいつやっちまった」に近い空気だった。

 気付くと天地が引っ繰り返っていた。
 やりとりを見ていた別の先輩が、おれの顔面目掛けて蹴りをかましたのだ。

 そこからはリンチだった。数人の先輩に暫く蹴りを入れられ続けた。目の端で、高木さんが激昂して何か喚きながら他の先輩に抑えられてるのが見えた。

 蹴りが止み、隙を見て立ち上がろうとする度に蹴りを腹に入れられ続けた。和柄のくるぶしまである刺青で、その足が昨朝仕事終わりに酒を一緒に飲んだ先輩のものだと判った。
 痛みで全身が麻痺して動けなくなった頃、解放され会議室にひきずられていった。
 勿論、そこからは課長からの大説教である。

「あのね、本当こういうの勘弁してくれや。暴力とかダメでしょ?」

 先に高木さんが、と思ったけれどそれを口にする体力は残っていなかった。

「まあいいや。もう今日は帰って良いよ。でもちゃんと明日も来いよ」

 自分の荷物を渡され、会社から追い出された。

「あとね、カタギうんぬんって言ってたでしょ。ああいうの本当やめて。君はこれから先があるのかもしれないけど、おれ達はここで頑張るしかないんだからさ」

 課長の表情を見て、本当に自分の言葉を後悔した。
 退社して暗い気持ちで駅まで歩いた。季節は夏だったけど、イヤに寒かった。酷いことを言ってしまった。明日出社したら謝ろう。
 重い体を引きずり、当時まだ工事中だった地下鉄の入り口まで辿り着くと、シャッターが閉まっていた。
 時刻は2時頃、当然終電なんて無くなっていた。

「あのクソ課長、職場の奴ら、やりやがった!」

 頭に血が上り、当時住んでいた表参道方面に歩いて帰った。コンビニのゴミ箱を見つける度、蹴りを入れ、クソが!等と喚いてみた。

 当時のおれに知性もクソもありはしない。ただ若さと体力だけが無限にあった。

 翌日出社すると、みんな普通に接してくれた。そういうもめごとには慣れている様子だった。当然、それも異常なことだった。

 サクラは常に数人の「キャラ」を操る。キャラにはそれぞれ細かい設定が用意されている。例えば、女子大生20歳・非処女・元カレがDV男で男性不信気味・実家が太い・身長160cmといった具合だ。
 完璧ではなくどこか欠陥のある設定が「おれにもイケるのかもしれない」と思わせる魅力的な誘因となり、人気を獲得する。

 キャラはリアリティのため、数週間単位で「入れ替え」が行われる。当時、おれも何体か作成した。
 写真は適当な個人ブログから拝借して、反転くらいの簡単な加工をするだけだし、細かい設定も知り合いの実在する女の子のことを思い出して似たようなストーリーにしたてれば良いだけ、創造力なんて必要ない。

 出会いを求める人間の会話のパターンなんてそうは変わらない。
 基本的にサクラは定型文、テンプレートのコピー&ペーストをメインにやりとりをする。テンプレはキャラごとに状況に応じたものが数種類用意されている。例えば、一通目のメールはこんな感じだ。

「初めまして💛 メールOKしてくれてありがとうございます!是非お話して、仲良くしてくれたら嬉しいです。ユカっていいます!(ユーザ)さんのことは、何さんと呼んだらいいですか?★」

 単に名前を変更するだけのテンプレなので、ラリーを重ねる度に会話にズレや不自然な点が生じてくる。だけど出会いを求める男たちは必死なので、勝手に脳内で補完してくれる。そもそも異性との会話を違和感なく継続できないような男だから出会い系なんてやってるのであって、まともに女に相手にして貰えること自体、彼らにとっては異常事態なのだ。
 そういうテンプレの中でも、どういう会話にでも使え、しかも思わず男が返信したくなるようなものを「殺し文句」と呼んだ。

 それを上から順番にポンポン放り投げていけば、男の「ポイント」が減っていって、やがて課金しなくては会話ができない状態となる。
 その後は一定時間ごとに「どうして返事してくれないんですか?私には(ユーザ)さんしかいないんです!」という内容のメールで追い込んでいけばある程度の確度で課金となる(この作業を追い掘りという)。

 当然、殺し文句は相手のポイントがある程度減った状態でなくては効果を発揮しない。
 相手のポイントが大量に余っているようなときは、複数のキャラクターで誘い込みポイントを十分減らした後で本命と思しきキャラの殺し文句で課金に持ち込む。

 逆に言えば一人のキャラにしか目移りしなかったり、あまりにも場違いなことを発言するような相手には、その場でメールを手打ちしなければいけない。大抵の男は色んな女に目移りするから、そういう状況になるようなことはあまりないけれど。

 ある日いつものように数人のキャラでテンプレを男達に送り付けていると、一人の客に違和感を感じた。
 その客・川島は、「アイ」にしか返事を返していなかったのだ。
 アイは、おれが作ったキャラだ。鳥取から上京してきた22歳、ふつうのOL。会社に馴染めず、友達もいないし、彼氏ができても遊ばれて終わる、ネクラでオタクで細身で、料理はうまい。
 写真が可愛かったので人気のキャラではあったけど、決してエースとなる設定ではなかった。

 それでも川島は、他のどんな魅力的なキャラにも靡かなかった。未だ登録したばかりとみえ、ポイントも大量に残っていた。この状況で殺し文句を使い切る訳にはいかない。以後の会話を全て手打ちに切り替えた。
 ラリーを続け見えてきたのは、川島の寂しい普段の生活だった。
 28歳で、おそらく仲間と撮った楽しそうな表情の写真もないんだろう、証明写真のような顔はいかにも冴えないサラリーマンという感じだった。
 田舎から上京し、渋谷界隈で一人暮らしをしていた。理系の大学を卒業したが出世競争からは外れ、といって趣味も無く、ただただ、淡々と日々を送っていた。
 こうしてまだ会いもしない女に心を許し「出世競争から外れた」ようなことを容易く打ち明けてしまうところがいかにもモテない感じだ。
 彼は普通に知性のある文面でやりとりができるし、別に顔だってまあ良くはないけれど、悪すぎるというようなことはないように思えた。きっと悲しいくらい真面目で、誠実で、それゆえ一人に耐えきれないのだろう。そして「アイ」の設定に共感し、好きになってしまったのだ。

「おい、だっちゃんよ」

 課長がおれを見た。

「アイのとこにいる川島、これ絶対イケるだろ」

「はい。もうそろそろ待ち合わせ設定するとこです」

 課長が腕を組んで言った。

「なあコイツ、渋谷に住んでるんだろう、アポ取れよ。道玄坂に呼び出して、明日観に行こう」

 高尾マンコさんは「私めんどいからパス」と言ったけど、高木さんは「久々に遠足?!良いね~!」と乗り気だった。
 どうやらこうして数か月に一回くらい、客が待ち合わせに右往左往して課金する様子を皆で観察しに行くイベントが発生するらしかった。
 他部署の仲の良い先輩らも、「俺達もその日は暇そうだし付き合って良い?」と乗ってきた。男6人の大所帯となり、川島とアイは道玄坂にあるコンビニで待ち合わせした。

 22歳の男慣れしない女の子が、ホテル街ど真ん中の道玄坂に待ち合わせなんてしないことくらい少し考えれば判りそうなものだ。けれど、そういうことが分からないから、川島はずっと孤独なのだ。

 当日、夜21時半頃。
 道玄坂のネオンの中、皆で座り込んだりタバコを吸ったりして時間を潰していると川島が現れた。
 よれたスーツに冴えない髪型、覇気のない立ち姿、リュック。写真どおり、いかにも非モテがそこにいた。
 周囲を見回しアイの姿を探している様子だ。けれどアイが来ることはない。
 事務所にいる高尾マンコさんに「メールを送って欲しい」と電話をかけて伝えた。アイから川島に、「もう待ち合わせ場所には来てるんです!どこですか?お返事くれませんか?」とか、そういう不安を煽る文面が届いている手筈になっていた。

 まもなく、川島がコンビニに駆け込むのが見えた。あっさり陥落した。
 一刻も早く返事をしなくては、せっかく初めてこんなに仲良く話せる女の子ができたのに!表情からそういう思いが透けて見えた。なんの感慨もない。
 先輩たちが「プククク!」と声を抑えて笑い始めた。

「だっちゃんこれ時給アップだわ、流石、できる男!」

「やめて下さいよ!いや、楽勝っす、楽勝!」

「なに数千円の売り上げで調子のってンの?いやでもお手柄お手柄!」

 何人かがおれにハイタッチを求めた。

 川島は大卒だ。私大文系のおれが早々に放棄した難しい数学の問題を解いて、都心の有名大学に合格し、そしておれや先輩たちとは違って、品行方正を積み重ねて生きてきたのだ。投げ出したくなるような日を、淡々と耐え忍んで生きてきた人間だ。
 まじめに生きても報われないんだな。当たり前のことだけど。

 「できない」と思った。おれにはきっと、そういう生き方はできないだろうな、と。
 あるいはあれが自分の未来の姿になると判っていたからなのだろうか。ぜんぜん笑えなかった。


 その後川島は継続課金の部署に回され、そこで何度も課金することになる。

 それからしばらく日が経ち川島の存在を忘れかけていた頃、新規登録のキャラに

「あなたもサクラなんですか?」
「もう全部どうでもいいんです」
「誰でも良いです、会って下さい」

 そんなことを手当たり次第に話しかけている川島を見つけた。だけど同じユーザが無課金で何度も初回登録特典のポイントを受け取るのは規約違反だ。
 ブラックリストに入れ、IPを出禁にした。

 当時、職場にはマニュアルみたいなものは存在しなかった。「なんとなく」だけで仕事が回っていて、覚えの悪い新人はそれで先輩に詰められ、根を上げてやめてしまうことが少なくなかった。一発で仕事を覚えることができない新人に先輩たちは中々優しく接してあげることができなかった。
 おれは記憶力がそんなに良い方ではなかったので、少しずつ色々なことを明文化して自分用のマニュアルを作った。それを上司に出したら時給が上がった。
 元々真面目な方なので、自分なりにテンプレートを工夫したりキャラの細かい設定を作り込んでいったから、課金件数も悪くなかった。最終的には、月給45万くらいもらっていた。

 およそ1年、渋谷の掃きだめで過ごした。
 頭の狂った人間に会ったことも一度や二度ではない。職場の近くで同僚が二度も女に刺され病院送りになったときは「さすがに多いな」と思った。
 職場の先輩は、基本的には優しかった。花見や飲み会、初めて一緒に秋葉原のメイド喫茶へ行ったりした。

 ある夜、何百年ぶりかのナンタラカンタラ流星群を観ることができる日があった。
 それは勤務時間中だったんだけど、一人の職員が「所長!星、観に行きましょうよ~お願いしますよ~!」と叫んだ。
 所長も「お、そうだな!皆で星観るか。皆、一旦仕事やめろ~」と応じ、皆で喫煙室の小さい窓から空を見上げた。

「なんも見えないんですけど」

というと、

「いや、多分あれだ!」
「あ、わかった、あれだ!」

 先輩たちが年甲斐もなく口々に言った。
 そのうち誰かが当時流行ったsupercellの「君の知らない物語」をかけた。
https://www.youtube.com/watch?v=Ac1cv_55FCM

 元ホストの先輩がおれをみて、「こういうのも悪くないだろ」と笑って見せた。その言葉は言外に、大学生と言う身分で紆余曲折を経てこんな仕事をしなければならなくなったおれのことを慰めていたし、「こんな仕事」だと思っていることを見透かされていた。

 色んな事情を抱えてサクラになっていた。借金、バクチ、就職氷河期、風俗あがり、いろいろだ。
 「ぼくらはもう抜けられないけど、だっちゃんは自分の人生を間違わないでね」みたいなことを日常的に言う人もいた。彼らの学歴は結構有名な大学だったりして、本来こんなところにいるべきではないような人も少なくなかった。
 ただ少し性格にクセがあったり、就職先が数回連続で合わなかったり、ほんの少し人生のボタンを掛け違えてしまっただけだ。

 しかしやはり他人の心に付け込む仕事は、よほど稼がない限りそれ自体が自分を支えてくれるようなことはない。
 週6日、ほぼ毎日12時間拘束され、その上で法律の勉強もしなければならないとなるとどうしても睡眠時間を削らざるを得なかった。
 2日3日寝ないことも常態化して、徐々に体調を壊していった。

 血便が出、尿も濃い色しかでなくなった頃になって、流石にまずいと思って仕事を辞めることにした。手元には数百万円残っていた。
 所長に「辞めます」と伝えると、「わかった、おつかれ」とあっさり引き継ぎのシフトが組まれ退職の運びとなった。
 
 最後の日、会社から出ようとすると背中から高尾マンコ先輩が呼び掛けた。

「おーい、だっちゃん!もうこんなところに戻って来るんじゃねーぞ!!」

 月日が経って、社会人となった。
 ふと思い立って桜ヶ丘に行くと、多くの競合の出会い系サイトのオフィスは空になっていて、入居者募集の広告が窓に貼られていた。

 おれの働いていた会社に行ってみると、白看板のオフィスには煌々と電気が点いていて、様子を伺うとメンツは変わっているようだけど未だに刺青だらけの若者が働いていた。
 老朽化したビル、臭くて不潔なトイレ、タバコの臭い。今でも何もかもあのときのままだ。
 おれも先輩たちのようにまともに生きることができなかった。だから、クソみたいな仕事だったけど、居心地が良かった。
 いまのおれには居場所がない。

 一体、先輩たちは何処へ行ってしまったんだろう。みんな今ごろ30代後半から40代になっているはずだ。どこかで幸せに生きているなら、自分みたいな人間にどういう幸せがあるのか教えてほしい。
 自分に優しくしてくれた人たちだから、どこかで強く生きていてほしい思うこともある。だけど他人から何かを奪うようなことをしていた人たちだから、最後は不幸でいて欲しいとも思う。
 きっとそのときは、おれも同じ地獄に落ちるのだ。