後ろ手に束ねた 恥じらいの花束が揺れる 


 都会のサラリーマンなんて、字面で見れば華やかに見えるけれど実際のところ物理的に拘束されてその我慢料を手にしているだけに過ぎない。
 そうして毎日時間と心を切り売りしている内に、トルストイが家庭の幸福の中で「人生における唯一の確かな幸福は、他人の為に生きることだ」と語っていたのはどうやら確からしいということを知った。
 おれは自分の為だけに生きることのできる人間ではない。

 だから家庭を作ろうとしたけど、叶わない願いだった。
 醜悪で金のないおれを愛し、特別な存在にしてくれる女なんてそう居はしないし、ましてや子どもを持つのはその先の話だ。

 だけど実際のところ、おれは自分が限界だと判っていた。一刻も早く許されたかった。自分がこの社会に存在していて良いこと、誰かの為に生きること、そういう証が欲しかったのだ。


 ある日、孤児院出身の人物が主人公の映画を劇場で見た。

 その映画自体はとんでもない駄作だったんだけど、独り合点することがあった。
 そうか、少額でも寄付すれば、自分はこの世界の誰かの為に生きていることになるのかもしれない。

 これまで「寄付」だなんて偽善じみたことを蹴飛ばして生きてきた自分にとって、そういうことに及ぶ人間の心が理解できなかったのだけど、それはつまり誰かに存在を許して貰いたかったからなのではないか、と納得した。
 自分自身の子供ではないけれど、「恵まれない子供たちの為に働いている」というのは、砂を噛むような日々を耐え忍び自分を納得せしめるのにこれ以上ないくらい良いアイデアに思えた。


 丁度、当時住んでいた部屋の近所に孤児院があったのでそのサイトから毎月、クレジットカードで自動で引き落としがかかるようにした。金額を月500円、年6,000円とほんの少額に設定したのは、そこは生来ケチなんだろうと思う。
 寄付することに慣れていなかったので、最初はわずかばかり自分は何かいいことをしているかのような気持ちにもなった。

 だけどそんな高揚も、長続きはしなかった。
 毎月500円多く引き落としがかかったところで生活には何ら変化は起こらないし、結局のところおれを誰かが面と向かって特別な存在なのだと告げてくれないことには満たされるものもなかった。そうこうして生活が荒れていくのに合わせて、自分がそういうことをしたこと自体すっかり忘れ、日々の喧騒にながされていった。

 約2年の月日が流れ、先週の日曜日。暇を持て余していたおれは図書館で本を借りるついでに初めてその施設に行ってみることにした。考えてみれば、実際に施設や子どもたちのことを見たことさえなかったのだ。

 小田急線沿いの坂道だらけの住宅街をバスで30分、アクセスの悪いところにある団地の一角にその施設はあった。
 ここはおれの生まれた町でもある。懐かしい町に吹く春風はまだ少し冷たいけれど、気持ちいい。

 フェンスから中を覗くと、子供たちがはしゃいでいた。想像していたより色んな年代の子供がいるようだった。
 学童保育みたいな光景だな、と思った。彼らのこれからは、決して明るい事件ばかりではないだろう。親がいないことや昔あった嫌な過去に何度も直面することになるんだろう。
 だけど、やりかたはいくらでもある。中には社会を巧く泳いでゆける人間もいれば、おれと違って家庭を持つ者もいるんだろう。そういう未来への可能性に眩暈がした。

 そして内臓を鷲掴みにされるような苦痛を覚えた。
 もはやおれは経済的に破綻して、クレジットカードは止まり自動引き落としは決済不能になったはずだ。これから寄付する余裕はもう無い。
 昔、ある女の子に「だっちゃんは優しいから、きっと良い父親になれるよ」と言われたことを思い出した。とんでもない思い違いだった、おれは僅か500円さえ子供たちに差し出すことができない人間だ。
 自分の子供に責任をとることなんて遥かに難しい。ただただ社会からリソースを奪い去っていくだけ、何も与えず、何も生み出さない、存在そのものがまるで虚無のようだ。
 助けが必要な人に手を差し伸べ、許しを求めたはずが、それでもお前の手は要らないと払われたように感じた。

 自分の許されなさ、所在なさに途方に暮れて呆けていると、「あの」と話しかけてくる女がいた。30代半ばくらいの若い職員だった。目の奥に、微かに怯えと警戒の色があった。

「何か御用でしょうか?」
「いいえ、何でも」

 逃げるようにしてその場から立ち去った。元から関りのない子供たちについて考えるのはもうよそうと思った。
 感情が過多になって、その日は中々寝付けなかった。